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アニメにおける考察

ここで、一つ、戦後に限定されてしまうが、日本でのアニメ(もしかしたら、特撮、漫画も含んでいるかもしれない)で考えた事を残しておきたい。 と、言っても、別に何もカッコいいこと言うつもりでは無く、有る意味事実に近い内容で、記事で書いておきたいと思う。
(個人的な考察に過ぎないのであるが)

まず、最初に自分自身の考えた結論を示す。

「アニメ(漫画や特撮も?)の歴史は、初めの頃は、南斗聖拳の時代であり、やがて北斗神拳の時代となっていった。」(注:60~90年代くらいまで)

はっはっは、なんのこっちゃって感じだけど、視聴者に対して、アピールする方向性が段々変化していったといいたいのです。多分、間違い無いでしょう。要するに、

「最初は、映像や音楽の[インパクト重視]の時代で、それがやがて[ストーリー重視]の 時代となっていった」

と思う。理由も明確に挙げられる。初めの頃は、漫画なり、アニメなりを書く人が少ない時代だったのだ。 それに、社会的にも、認められていないものを認めさせたいという気持ちが強かったと思う。 そうすると、第一印象を重視したくなる。いや、実際には作成者側が意図したことではないかもしれない。 むしろ第一印象を重視していたのは、視聴者側だったかもしれない。 それに、昔の作品でストーリー性が無かったと言いたい訳でも無い。結果的に、初期の作品群は、 その傾向にあったように見えるだけなのだ。

それが、段々年数を重ねるにつれ、漫画やアニメを書く人が増えていった。そうするとどうなるか。 画質的なレベルが似てくるようになる。 似たような絵を描く人が少なからず出てくる(違うように書く意図が有っても実際そうなるわな)。 その中で、残っていくものは、結局、ストーリー性のある作品になっていく。だから、全体的にストーリー重視になっていく。 ただし、こちらも例外はある。ギャグ系の作品のことで、これは、昔からずっと、インパクト重視で (中にはストーリー性の強くなるものもあるが)、変わらない。

これだけじゃ、信憑性無いだろうから、例を挙げてみる。例えば、マジンガーZやら、仮面ライダーやらの時代は、 まあ、自分も子供では有ったけど、ストーリーを良く覚えているだろうか。 おおまかなストーリーは知っているけど、大体が1話完結のものが多いし、印象に残っているのは戦闘シーンと言う人が多いはず。

しかし、80年代くらいのジャンプ作品などを考えてみる。北斗の拳とか、ドラゴンボールとか、 かなりの人がストーリーを知っていると思う。それに、こう考えた事は無いだろうか。 原先生に申し訳無いですが、もし、絵を他の人が書いていたとしたら。ただし、例えば似た絵を書けそうな、 宮下あきらとか、森田まさのりとかという限定にする。それでも多分、売れていたかもしれないと思うのが否定出来ない。 つまり、ストーリーや、それに付随した設定背景などに惹かれている方が大きいと言える
(つまり、救世主の設定とか、「お前はもう死んでいる。とか、経絡秘孔をついた。とか)。

そうなのだ。だから、次はどうなるんだ?という興味に移っていき、購読意欲に変わっていく。さらに逆の言い方も出来る。 同じ作家の作品で、売れるものが有ったり、外れたりするものが有る(昔のジャンプで確かに多い)。 つまり、購読者が、割と内容重視で、買っていた証となっている(例外は、鳥山明くらいかもしれない)。 外面的な面より、中身より視聴者を破壊する(言い方悪いな・・)北斗神拳のようだ。

次に具体的なメディア関連の作品群における「南斗聖拳」「北斗神拳」の極意について 考えてみた。 (のりのりで書いてるけど、どっかで、この記事直した方がいいかも)

「南斗聖拳の極意」(=人が第一印象で興味を示すポイント):

  1. 異性
  2. メカ
  3. 非日常性(恐怖、笑い)

すごいよな。ほんと。初期の作品はほとんどこればっかし。手塚氏は「鉄腕アトム」「リボンの騎士」「ブラックジャック」で、 もろに3系統全てに作品残してるし。 (多分、自分自身で似た作品を作りたくないって考えた結果だろうけど)永井豪さんもそう。 「マジンガーZ」「キューティーハニー」「デビルマン」石森さんもそう。 「仮面ライダー」「イナズマン」「さる飛びえっちゃん」とか。 (石森さんの場合、3つ全部入った作品がほとんどみたいだけど) トキワ荘メンバーもほとんど、この3つのどれかをアピールした人が多いんじゃないかな?

ところで3.の非日常性で笑いってのは、不思議に思うかもしれないけど、笑いの原点は、 普通じゃない行動や、言動に有ると思う。笑いと恐怖が表裏一体とは、良く言ったもんだ。 普段とは違う事象を見て、結局人間は「恐怖(驚きも含むかな?)」するか「笑い(感動も含むかな?)」 のどっちかしか、感情を持たないんでしょう。 とにかく、外的要因からの人を引き付けるものは、上の3つなんではないでしょうか。 ただ、初期の作品では、スポ根物はこの3つより、多少「北斗神拳」に近い気がする。 ・・・と思ったけども・・・

例えば、「巨人の星」とかで、覚えているのは、対決シーンが多かったり。おまけに、 大リーグボールだったり。ということで、結局3.に近くなり、やはり初期の頃は、視聴者の感情的にも 「南斗」有利の時代だったんでしょう。視聴率を稼ぐのが、メディア業界の宿命で有る限り、 世間の流れには逆らい難く、しょうが無い面も有ったと思う。 そういえば、「新巨人の星」。こっちだと、むしろ星が復帰するまでのストーリーのが印象深いかな? うーむ。これも実は例なのかもしれない。 ロボットアニメもリアルになったっていうけど、要するに、リアルになるってことは、 ストーリーや設定重視になってったってことじゃないか。じゃ、これも「北斗」有利になっていった証なのかもしれないな。 (そもそもスーパーロボット系とリアルロボット系でまったく違う作品に見えること自体そうでしょうな。)

ところで、南斗聖拳の極意に異論有る人居ますか?多分居ないでしょう。それを確定し、 知らしめるのが次の3つ。

「北斗神拳の極意」(=問題点解決方法):

  1. 友情(人との関係や愛が一番!)
  2. 努力(勝利だけが人生でない。カッコいい意地やプライドも必要!)
  3. 勝利(とにかく勝てば気持ちいい!勧善懲悪も含む)

なんで問題点の解決法がストーリー性と関係しているか解らないかもしれないが、 実は人間はストーリーの中でまず、上の3つのどれかを求める人がほとんどなのである。 そして問題点の解決方法は、この3つしかないのだ。この理由は以前ブログに記載して書いた。 後に、別ページにまとめておくことにします。

また、設定面での重視はどちらに入るの?ってことだけど、それは、問題を解決する為の、前提条件を作る設定な訳で、 こちらになると思う。
(救世主の設定→拳法家→謎の拳法を使う→勧善懲悪的に人を守ってカッコよく勝つ→勝利系)
でも、絵が悪いわけでもないんだよな。 最初に言ったけど、似たレベルの絵を掛ける人が多かっただけだな。・・・そうでもないかな? 確かに北斗の拳の画質レベルも相当高いけど、多少画質が落ちた人が「北斗の拳」を書いていたとしても・・・。 ってやっぱりそんな気がするものなあ。

それを知った上で、この「北斗神拳」についてだけど、「南斗聖拳」と比較して、長所と短所 がある。

長所: 視聴率や販売部数といった面で、ストーリーの連続性を購買や視聴意欲に直結させる為、 人気作品を主軸として持続性を持たせやすい。また、人の「心」の内面から押していくものなので、心に残る印象は大きい。
短所:それぞれの3つの内、南斗系は最悪どれか欠けていても面白い作品は成立するが、 北斗系は比率を変えるだけで、実際は3つとも密接な関係にある。つまり、実際の作品における個性的な面を作るのは、南斗系よりも難しい(つまり、結局どれも必要となり、ポイントがぼけてきて似通ってしまう場合がある)。

ということで、北斗系重視でも、南斗系重視でも、1長一短なんでしょう。ところで、 これも勘違いしてほしくないけど、北斗「重視」南斗「重視」と言っているのであって、 相手を否定しているわけでない。ストーリーのないアニメや漫画は無いだろうし、絵や 音楽の無いアニメも有るわけが無い。だから、例えば例を挙げると、

マジンガーZ:インパクトはメカ系で、ストーリーは勝利系。南斗系重視。
北斗の拳:インパクトは非日常性系で、ストーリーは勝利系。北斗系重視。
(で無かったら、アニメにもならなかっただろう・・・。なんだかんだで人が・・・)
あしたのジョー:インパクトは非日常性系で、ストーリーは努力系。やや北斗系重視。
ドラえもん:インパクトはメカ&非日常性系で、ストーリーは友情系。南斗系重視。
こち亀:インパクトは非日常性系で、ストーリーはほぼ3つ全て。南斗系重視。
タッチ:インパクトは異性系で、ストーリーは友情系。比率はほぼ等しい。

という感じで、大体の有名作品はこの分類方法で分類することが出来る。 下手をすると、テレビ番組の全てとか、ゲームですら、この分類で、全てわけることが出来るように思う。 (考えてみたら当たり前だ。テレビで見るものに関しては、映像と内容しかないわけで、 それぞれで、ほぼ分類出来る3つを書いているんだから)

結論として、特にアニメ業界に至っては、初期の頃は「南斗」系有利な時代。80年代 くらいの頃は、「北斗」系有利の時代だった。と言える。

どちらに転ぶかは、実は、視聴者の興味に委ねられている。

ということで、今回の考察は終わる。自分の好きなゲーム業界も同じなので一言。

時代が「北斗」系を求めているか、「南斗」系を求めているか。
まずはそれを調べた上でそれぞれの極意に基づいた方向性で、良いものが市場に出回るのを期待したい。
結果的には、それが景気にもつながるだろうから。

これって、人間の作り出すもの全てだ。テレビだけの話でも無いだろうな。

後、極意以前に当たり前なことだけど、一応書かないと。
他人と違う、つまり個性が無いと、極意自体が意味を持たない。
鳥山さんは、個性的な絵だったし。それで、割と設定重視(ドラゴンボール)。
なるほど、時代が求めたわけだ。この人も高次元のレベルでほぼ等価だな。 でも、
ドラゴンボールを、もし、違う人が書いていたとしたら・・・。

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