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良くも悪くも下らんことでもひたすら考えるのみ title

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巨大ヒーローについて

①ミニチュア撮影の例


良く出来たミニチュアだなあ。でもなぜか室内感がある・・・。

②合成撮影の例


透明怪獣ネロンガの例。上は2重カット。下は解りづらいが3重カット?。これも良い出来だが、合成感は拭えない・・・。

③CGの例


モンスターハンターから。これも良い出来。しかし、迫力あるけどやっぱりCGだろ?って思うなあ。 箱庭感が拭えないし、良く出来たぬいぐるみ感が・・・。

④目の錯覚だけ(笑)


上下は続きのシーンだけど、下のシーンを見て「あっ!」と思った。一瞬のシーンだったけどこれは室内では無いな。とやはり一瞬で解ってしまった。人間ってすごいなあ。

こんな題材の記事を書こうとしているのに変だけど、実は個人的な好みで、巨大ヒーロー よりも等身大ヒーローの方が好きだったりする。 子供の頃の思い出でも、ウルトラマンを見た思い出よりも、いわゆる東映系の「仮面ライ ダー」他の変身物の方が、良く覚えている。 あんまりはっきりした理由は無いが、思い当たるのは、子供の頃にこう思った記憶が有る。

「等身大ヒーローは、町を壊さないが、巨大ヒーローは自分自身も町を壊してしまう。」

結局、見知らぬ人間にも迷惑をかけているように見えるのが、気になった。 (仮面ライダーが誰も知らないところで戦っている雰囲気だしていたしなあ。 東映側の策略だったら、見事にそう思わされたことにもなるがw) それに、ミニチュアを壊している行為そのものについても、心に引っかかるところが 有った。子供の頃に砂場で作った城やらを、こわして遊んだ経験、多分みんなあるんじゃないだろうか。 しかし、自分は出来たものを壊さずに取っておくようなタイプだった。 そして翌日見に行って、誰か知らない奴に壊されたのを見て、ショックだったり (しかしそれは当然で、残しておくと今度は、俺が迷惑をかけていることになるな)。

前置きはこのくらいにして、今回、特撮における巨大ヒーローについて考えてみたので、 ここに残しておこうと思う。 最初に、特撮における巨大ヒーローと呼ばれる作品の定義を考えてみた。

「特撮における巨大ヒーロー(怪獣物)とは、ほぼ等身大で作った着ぐるみを、特殊な 撮影技術等を使って、疑似的に巨大に見せた作品である」

本当に巨大なセットやら、着ぐるみやらを作っているわけではないので、大前提の定義としてこれはほぼ間違いないと思う。 そうすると、いかなる方法で実際は巨大で無いものを巨大に見せるか。そこで「特撮」となる。 そういった点では、等身大のヒーローなんて、大した特撮なんて実は無くても良く、本当の意味で特撮が必要なのは、 巨大ヒーローだと感じる。 そして、特撮は経費が掛かる。等身大側の作品は経費を掛けなくても出来るので、有る意味 ピンキリな印象があるが、巨大ヒーロー側の作品が、割と安定した作品レベルなのもそういった観点からすると納得が行く。

つまり、巨大ヒーローはコストが掛かるが、逆を言えばコストを掛けた作品で無くては特撮として成り立たない。 ということになる。では、なぜコストが掛かるか?ということだが、 等身大ヒーローを取る時に厳密的には必要がない撮影方法が巨大ヒーローでは必要になってくる。
挙げてみると、

  1. ミニチュアセット
    通常サイズの着ぐるみを錯覚で大きく見せる為には、街の風景や、自然の山々等の小さい模型。 つまりたくさんのミニチュアセットが必要になってくる。しかも、30分撮影のセット毎に破壊されてしまう (そうでない場合も多いが普通はそうだ)。

  2. 合成撮影
    次に錯覚を利用する方法として合成撮影がある。バックと手前の風景をサイズ違いで撮影して、2つを繋ぎ合わせる方法である。 これも良くある方法。しかし、解ると思うけど、1カットを2回以上撮影が必要なわけで、しかも合成の手間暇もかかる。 資材経費、人件費、が普通の撮影より多くなるのは明白。

  3. CG
    最近・・・でも無いけど、当然これもある。実在しない物をCGで有るように見せる方法。 しかし、実在しないものとした場合、当然CG部分の割合が増える。それにそもそもCG自体が合成撮影なのだ。 1カットを複数回以上の撮影が・・・以下、2.と同じ。

  4. (結局今回の記事でこれが言いたかっただけ?)目の錯覚を利用する。
    特別な方法を使わず、ひたすら目の錯覚を利用する。この内容は、後述。

巨大で無いものを巨大に見せる方法は、このくらいだと思う。もうひとつ、本当に大きいものを作るってのがあるが・・・ 出来る訳ないわな。コスト掛けすぎの極致。 ああ、でも実際の大きさのビルやら家の壊れるシーンを入れるのはあるな。崩壊した一部が飛んでくるってシーン。でも、巨大ヒーロー自体を巨大に見せるのとはやっぱり違う。 そして、ほぼ1.~3.の手法で撮影されているが・・・最大の問題があった。
それは、

「目が慣れてくると、ミニチュアだ!とか、CGだ!とか解ってしまい存在感が薄れる気がする・・・」

正直いろんな人に聞いてみたい。「あれCGだろ?」とか思わないで見れますか?とか、「ミニチュアじゃん」とか思わないで見れますか?とか・・・。うーむ。

そして、自分は次に、 「それでは、自分が今まで見たシーン中で、もっとも巨大に見えたシーンは?」 ということで、探してみた。その結果、④のシーンが特にそう思ったのだ。 (少なくとも私には・・・ですが・・・) 不思議なことに、このシーンは、1.~3.のどの手法でも無いのだ。今回の記事を 記載しておこうと思った理由だったりする。そしてそれを4.の手法と仮定した。 なんでこのシーンがそう思ったのか。理由もなんとなく解る。CGもミニチュアも目が 慣れてしまったからだ。実際、なんだかんだいって結構見てしまったからなあ。

ウルトラマン、セブン、レッドバロン、ジャンボーグA、アイアンキング、ミラーマン ファイヤーマン、マッハバロン、アイゼンボーグ等々・・・ CGが無い?ってことで、FF10のシンとかモンハン見たりもした。 でもやっぱりこのシーンのが巨大に思ったぞ。不思議だったりするが、目が慣れたんかもしれない。

では、④のカットで、そう思えた理由について、考えてみた(これを4.の手法とした)。
ポイントは4つ。

(巨大で無いものを巨大と錯覚した理由?)

室内、室外

ついでに室内と室外の比較も載せてみた。ほとんど同じカットでどっちが室外でどっちが室内か、 やっぱり解るぞ。
光の国からー♪。ってほんと、太陽って不思議。

特に、述べたいのは、自然光の影。ってところだ。これも不思議なんだけど、自然光の影って 室内での影と、全然違う。人間って不思議だ。写真で、室内と室外!って瞬時に解るでしょ。もっと言えば、 どんなにCGがレベル上がっても、なぜか自然光じゃない?って思うでしょ。人間の頭の中ってのは、本物か、偽物か判断する能力があるんでは無いだろうか。

だから、本物の外!ってシーンを見ると、本物?と錯覚する。その上で、局所のアップにより、全体サイズが不明になる。 次に、背景でサイズの比較対象を探す。・・が存在しない。結果的に、大きいサイズなのか?と錯覚を起こす。

理論的にも理にかなっている。そしてもう一つ利点がある。それは、錯覚なので、目が慣れることが無いってことだ。 ああ、これは目の錯覚だ。と思っても、いつ見ても錯覚は錯覚。ということは、4.の方法が一番いいんだろうな。 実は(といっても結局、主観的感想でしかない)。

では、結論として、1市民の個人的観測による、勝手な結論。
(でも、試してほしいなあ・・・)

<結論>
近年では、1.~3.の手法は、非常に多くの作品が登場し、一般レベルでは、撮影方式 に目が慣れてしまい、効果が薄れてしまってきつつあると考えます。 よって、巨大ヒーロー撮影の原点に戻り、元々「目の錯覚で大きく見せている」のですから、 その、目の錯覚を最大限に利用する方法の模索を、検討してみて欲しいです。例えば、 野外ミニチュアセットを組み、自然光による効果を利用して、撮影する、とか、背景を組みいれず局所アップの撮影を多用して、 サイズが解らないようにする効果を狙う。等が挙げられます。 昔も同じことをしているようですが、もう一度、目の錯覚の利用を考えてみるのもよいかと思います。 何か、新しい方法が有るかもしれませんし、既存の方法でも、必要経費の節約にもつながります。

目が慣れてきている事の証明もある。近年デジタルテレビがどうこういうようになっても 結局見るのが、ありのままの自然や、宇宙、特殊効果の少ないバラエティ番組が多くなっているように思う。

CGでどこまで自然光を再現出来るか解らないが、やっぱり目が慣れるとCGである。と思うようになっていく気がする。 ましてや巨大ヒーローに至ってはなあ。 しかし、初めから本当は巨大で無いって解っていて見るという考え方もあるので、娯楽としての部分を強調するのならば、 別に気にする必要の無いことかもしれない・・・。

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