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良くも悪くも下らんことでもひたすら考えるのみ title

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(追加文1)歴史学について

自分自身で色々な仮説を立てると、本当に歴史がさらに面白くなるぞ。
ということで私の仮説を紹介します。

[名前の重要性について]
この当時は情報の伝達手段が、ほとんど無い時代だったことには間違いない。
車が存在せず、馬も一般ではほとんど持っていない時代なのだ。当然インターネットも無い。
だから、回りに自分の存在や信念をアピールするのに、「名前」を使用していたのではないだろうか。
そこで、そう思えるような名前をいくつか挙げてみる。

(以下の3人は、明らかに狙って付けたように思う)

「武田信玄」 ・・・「玄」の字は「玄人」の「玄」である。それを「信」ということは、
   信玄は「玄人を信じる」という信念をアピールしているように見える。
   なるほど、人は石垣、人は堀。しかし「プロ」でなくては。
「上杉謙信」 ・・・信玄の宿敵、謙信も面白い。「謙」の字は「謙虚」の「謙」である。
   それを「信」ということは、「謙虚さを信じる」という信念をアピール
   しているように見える。
   戦国時代に領土野心を持たない稀有の武将が謙信。
「羽柴秀吉」 ・・・羽柴は上の者に対する有る意味ごますりによるものだけど、むしろ
   名前が。「吉」が「秀でる」だって。自分でも解ってたのか。

(こっから下は、面白いので挙げる。根拠無し。ただ結果的にそうなったので、笑える)

「直江兼続」 ・・・気づいた時には爆笑した。「謙」の字から、「言」を取ると「兼」に
   なる。それを「続」ってことは、「謙信」の意思を継ぐけど、「言葉」
   だけは、「謙虚」にしないってことなのね。なるほど「直江状」を
   出した訳だ。結構、歯に衣着せない人だったんではないだろうか。
「織田信長」 ・・・「長」を信じる。だって。「長」になることだけを考えて突っ走った
   のだろうな。ほんまかいな。でも事実だ。名は体を表すの典型。
「徳川家康」 ・・・「家」を「康」。最終的に「国家」を「安康」にしたのは家康か。
   ただ「国家安康」と書かれて怒ったらしい。
   実際に戦国を終わらせたのは、「家康」なのになあ。
   結論を先に知っていたら、秀吉のが怒りそうなもんだ。
「前田慶次」 ・・・これも爆笑した。この人、織田家から上杉家に送り込まれたスパイ
   かもしれない。だって「刑事」だもの(・・・これはネタ。
   すいません。他のと比べて完全に根拠無し)。
   鬼小島弥太郎って同一人物説もあるらしい。確かに傾奇者だと
   こんな名前付けそうだ。ありえるなあ。「やったろう?」だろ。
   忍者の出って聞くと根拠無いのに、ちょっと気になる。

この他でも、気になるのが、現在は名前ではほとんど見ない「景」の漢字。
戦国時代では意外とよく見る。 考えてみたらこれも、「日」は「京」に有る。つまり京都にある幕府への
忠誠をアピールしているように見える(そして改名する奴も多かった?)。
また、逆の考え方だと上京する気持ちの表れと取ることも出来そう。

他にも、何度も改名している人がいるかと思えば、忍者のように頭領の名前をX代目として 同じにしている
連中もいる。 さらに有名だけど、家臣団とか、親兄弟で同じ一字を共有していることが、明らかに現代よりも
多い。
・・・そういえば一番使われた漢字はどれなんだ?「信」はかなり多いようだけど・・・
(これは調べがいがある。どっかでやってみるかな。)

ただ、これらのことは武士特有のものだと思う。
農民、町民レベルではあまり考えていなかったようだ。
太郎、次郎、田吾作・・・だもの。

一旦、結論を出すと、
この時代は名前を「親からもらった大事なもの」・・・って感じでは無いみたいだな。
むしろ「自分らの存在をアピールするためのもの」って意味合いのが強そうだ。
改名していた武将らは、特にその情報として伝える効果を、多少なり狙っていたように 見える。
断定は出来ないが、これが、「下剋上」の世の中で有った為と考えると納得も出来る。

もっと調べてみる必要はありそうだ。
「歴史は覚える学問じゃない。探究する学問なのだ。」と某番組で言っていた。
私もそう思う。また機会が有ったら色々調べてみよう。
(後日:調べたらどんどん出てきた。成る程、研究者がいるわけだ。)

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